itimoのブログ

有資格業。自分の人生の迷走を記録します。

【第15回】ベーシックインカムの下での自己実現や社会的貢献

第10回において、経済的貧困者等にとって、生活保護が制度的に不十分であって、ベーシックインカムの方が優れている理由を書きましたが、もう一点、指摘しておくべき点を書こうと思います。

 

それは、生活保護は、例えば10万円が月々支給されることになり、労働により3万円の月収を得ると、その月は7万円の支給となる点です。

 

これでは、就労のインセンティブが働かないことは、明らかですよね。

 

ベーシックインカムであれば、10万円(仮)の生活の土台がある上で、3万円分働けば、3万円分の贅沢ができる訳で、就労のインセンティブが働きます。

 

第10回でも書いたとおり、ベーシックインカムの下では、日銭を稼ぐためではなく、その仕事がしたいから働く、又は、お金を稼いで贅沢をしたいから働く。「その仕事がしたい」という感情は、そこから「お金を稼いで贅沢をしたい」という感情を除くと、突き詰めると自己実現欲求や社会的貢献欲求です。その、自己実現欲求や社会的貢献欲求は、必ずしも相応の金銭的対価を得ることと両立しなくても良いはずです。すなわち、金銭的には割に合わない仕事や、無償のボランティア活動であっても良いはずです。

 

これからの時代は、ベーシックインカムにより生活の土台がある(日銭を稼ぐ必要が無い)上で、個人が、どういった目的で働くのか、又は、働かないのか、それを選択して、自分の人生という限られた時間の中で何をするのかを主体的に選択することができるような時代になると良いな、と切実に思います。

 

そういった理由から、私は、「勤労の美徳」という言葉が理解できません。別に、相応の金銭的対価を得る勤労のみを、特別視する必要は無いと思います。私は、金銭的には割に合わない仕事や、無償のボランティア活動も、それが個人の自己実現欲求や社会的貢献欲求から実行されるものであれば、美徳であると思います。むしろ、日銭を稼ぐために、やりたくもない仕事をやらされることこそ、勤労を冒涜していると思います。もう、人類は、日銭を稼ぐためだけの仕事からは解放されて良いはずです。

 

以上、読んでいただき、ありがとうございました。