【第18回】ゼロサムゲームとノンゼロサムゲーム
第17回のブログを書いた後、ゼロサムゲームとノンゼロサムゲームについて考えてみました。
ドーキンス氏が述べていた、離婚裁判と弁護士費用の例は、一見ゼロサムゲームのように見えるものを、双方の弁護士が胴元である囚人のジレンマゲーム(ノンゼロサムゲーム)と見て、双方が「協力」を選択することでより良い結果を得ることができた(が、実際にはできなかった)例といえそうです。
そして、このような例は、現実のいたるところにあるのかもしれません。いつも、囚人のジレンマゲームでいうところの胴元という存在がいるとは限りませんが、双方が「背信」では無く「協力」を選択することでより良い結果を得ることができる場合です。
我々は、どのような時に、より良い結果を得るために「背信」では無く「協力」を選択することができるのでしょうか。
これは、離婚裁判と弁護士費用の例で言えば子供の将来等、プレイヤー双方が、不安や怒り等の自分の感情に惑わされること無く、自分にとって本当に大切なものは何なのかを、冷静に見定めた時ということなのかな、と。
「もののけ姫」のアシタカも、「曇りなき眼で見定める」と言っていますから。
以上、読んでいただき、ありがとうございました。